人生の最期を迎えるときの医療(ターミナルケア)についてお話します。②最期のときの3つのパターン
さて
『人生の最期を迎えるときの医療(ターミナルケア)についてお話します。』シリーズ②です。
前回もお話しましたが
もしこの内容が、『怖い』『刺激が強すぎる』という場合は
無理して読まないでも大丈夫ですからね。
ご自分のペースやタイミングに合わせて
読みたいときに読み進めてくださればと思います。
このシリーズのブログ
① 導入編→こちら
最期のときの迎え方の3つのパターン
Lynnらは、人が亡くなって行く経過は
大きく分けて3パターンになると提唱しました。
Serving Patients Who May Die Soon and Their Families, AMA Joanne Lynn (2001)を参照 訳
1老衰、認知症のパターン
ゆっくりお歳をかさねていかれるような方を想像してください。
この場合は、ゆっくりゆっくり、徐々に徐々に体の機能が落ちてきます。
2.呼吸不全、心不全パターン
もともと心臓が悪い方をイメージすると分かりやすいかもしれません。
なんとか心臓をかばいながら生活していた方が
例えば、風邪引いたりだとか、なんらかの負担が体にぐっとかかるイベントが起きてしまうと
身体機能が落ちてしまいます。(急性増悪と言ったりします。)
そして持ち直して回復しても前ほど元気にはならないことが多いです。
そしてまた体に負担のかかる、イベントが起こるとまた少し身体機能が落ちてしまう、、、
こういう体のダメージと回復を繰り返していくうちに
あるときには、回復できず、致命的になってしまい死を迎えるという経過になります。
3.がんのパターン
上記2つともまた異なる経過です。
がんの場合は数ヶ月前までは比較的身体機能は保たれます。
そして在るところで急に身体機能が低下します。
なぜ、このようにパターンをしっておく必要があるのでしょうか?
さて、このようにパターンを分ける意味は有るのでしょうか?
私は有ると思います。
この先どうなっていくのか
今後どのような形で進んでいくのか
本人や家族が知っておくことは
『全くこの先どうなっていくか分からない』というよりは
怖さがやわらぎ
心づもりができるのではないかと思います。
やっておきたいことをやっとけるということも有ると思います。
例えば、
逢いたい方に逢っておく。
伝えたい言葉を伝えておく。
遺産の整理をしておく。
もちろん
認知症があったり
とても高齢であったり
うつ病など、スペシャルケアを要する方だったり
本人が知りたくない
というならことさらに言葉にする必要はないのかもしれません。
ここらへんは『告知をするかしないか』というところと密接に関わってくるかもしれませんね。
3行のラブレター・・・
私が後期研修医の時
ほぼ初めてくらいに
自分が在宅主治医としてお看取りをさせていただいた方は
自分が、今後どうなって行くのかしっかり把握されたいという方でした。
『先生、隠さんと言ってや。今後、俺はどうなっていくんや』
自分に残された時間があまりに少ないことを知り
病院の静止を振り切って退院してこられました。
最期の時を迎えるときに
奥様に『愛している。愛している。愛している』と3行のラブレターを遺しました。
それから
病床から使い捨てカメラで妻を撮り続けること
家族で川の字で眠ること
献体をされること
ご自分の希望をすべて叶えて天に召されました。
そのあまりのかっこよさに
私はずっと魅せられているのかもしれません。
あの時から、『ちゃんと経過を知っておくことは意味がある』と思ったのかもしれません。
また、私達医療者は適切な時期に、適切な医療処置、家族への言葉がけ、ケアチームの団結など進めてまいります。
なので医療者は、経過を知っておくことに加えて
予後を予測する事も重要になってきます。
ここらへんは次回にお話しようと思います。
続きます。
あん奈